2009年05月07日
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下高井戸 曉雲園の謎

Written By: 川俣 晶連絡先

 Alice堂のWEBLOG ネット上の昔の地図よりトラックバックが来ました。トラックバックは滅多に来ないし、まして下高井戸関連の歴史ネタです。吉田園に興味のある人がいるのか……と驚きましたが実はそれは序の口。

 この記事では「国際日本文化研究センター」のサイトにある「所蔵地図データベース」に含まれる昭和10年の「模範新大東京全圖」という地図に、赤い3つの点で表記された地図記号(名所)がいくつか見つかるという話を書いていて、具体的ないくつもの箇所が記されています。その中の1つが吉田園だったわけです。しかし、よく見ると、すぐ近くにもう1つ「曉雲園」という別の施設が……。もちろん、モロに下高井戸の地理的範囲内であるだけでなく、どう見ても子供の頃は通学路として毎日歩いた場所……。

昭和10年の「模範新大東京全圖」

な、なんだって!?

 しかし、吉田園の調査であれだけこの周辺の地図を何枚も見たのに、曉雲園などという名前には全く見覚えがありません。

 というわけで、慌てて再調査。

 同サイトの「模範新大東京全圖」(昭和9年)にも名前が見えますが、これは同じ地図の違う版であるようです。

 「杉並の地図を読む」の図録を調べたところ、1枚だけそれらしい名前が記載された地図を発見しました。「東京府奥多摩郡高井戸町全図」昭和5年です。ちなみに、文字が潰れて読めないのは、最初からです。(複製する際に潰れたと思われる)。ただ、カメラの都合でややぼやけているので、手元にある紙の地図は少しだけ鮮明です。文字は読み取れませんが。

「東京府奥多摩郡高井戸町全図」昭和5年

 ぼやけた形から見て、おおむね1文字目は「曉」3文字目は「園」で良いと思いますが、2文字目はどう見ても「声」かそれに似た文字であって、「雲」には読めません。

現時点で分かったこと §

  • 名称は明瞭ではないが、ともかく何か名前のある施設があったことは間違いなさそう
  • 施設の規模は吉田園よりも小さいと思われる
  • 知名度も吉田園よりも小さいと思われる
  • 実際、吉田園の名前が記載されている各種地図は割と多いが、この施設の名前が記載された地図は現時点で確認した範囲では上記3枚しか無い
  • 位置は荒玉水道と玉川上水が交差する位置から見て北西側のブロックとなる。つまり、荒玉水道と玉川上水に隣接するかそれに近い位置と考えられる (向陽中学校南部境界を流れる神田川支流からはやや離れる)
  • 玉川上水北部の稜線上の高地から低地に続く位置、というロケーションは吉田園と共通している

思い出したこと §

 そういえば昔(1970年代)、このあたりに飲食店か何かがあったような気がしますが、定かではありません。荒玉水道に面した位置に入り口があったと思います。妙なところに店がある、という印象は残っていますが、既にかなり過去の話であり、よく覚えていません。

今後の調査 §

 「東京府奥多摩郡高井戸町全部」昭和5年の元になった複製図(おそらくもっと明瞭)は、杉並区立郷土博物館で閲覧できると思います。これを見るのが次の目標でしょうか。

余談 §

 「国際日本文化研究センター」のサイトにある「所蔵地図データベース」は知っていましたが、あまり突っ込んでみてはいませんでした。この機会に見たところ、いくつか気になることがありました。

  • 「携帯用大東亰案内地圖東京日日新聞附録」(昭和10年)には「柏宮遊園地」という施設の名前が見える
  • 「模範東京全図」(昭和30年)には七軒町駅と玉電松原駅の双方が記載されている

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